基本的な、基礎的なところでの間違い
基本的な事、基礎的な事で、間違ったりする事を、どう思いますか?
楽器で言うと、例えば基本の音階ドレミファソラシドを吹く際に指がもつれたり、簡単な場所でリードミス(意図した音より高い音、倍音がなってしまう事。音がピャ!とひっくり返る事)をしてしまったり…
また、当然だと思っていた事、常識だと思っていた事が、実は違う事が判明したり(´・_・`)
などなど。
まぁ、楽器や音楽の分野に限らず、そういう事ってあるかと思います。
そんな時に、どの様な反応をするでしょう。
間違いは恥ずかしい事なのか
私は一昔前までは、基礎的な部分が出来ていない事は、恥ずかしい事だと思っていました。
だって、『出来て当たり前』の事が出来ないなんて、恥だと思っちゃいますよね。
まぁ、私の器が小さいだけなんですが;^_^A
みんな出来ているのに自分だけ出来ていなかったりすると、『そんな事も出来ないのか』と自分で自分を責める。
まぁ、そういう悔しさみたいのが、練習意欲を掻き立てて、人並み以上の努力に繋がったりするんですけどね(*^_^*)それはそれで良い事だと思います。
でも、それだけだと、どうしても超えられない壁って言うのがある気がします。
少なくとも私の場合はそうでした。
自分を見つめ直すきっかけ
恥を忍んで話します。
実家が音楽一家である事もあり、ある時から私は、家で練習する時は、家族に良く思われたくて、認められたくて、『その場を取り繕う様な演奏』をする様になりました。
何とか上手く聞かせる様に吹く、一見上手く聞こえる様にその場しのぎの練習に重きをおく様になった、と言うか(´・_・`)
今でこそ、こうして話す事が出来ますが、本当にそれこそ、楽器を演奏する者として恥ずかしい事です。(−_−#)
もちろん、意図してそうなった訳ではなく、無意識のうちに、いつの間にかそうなって行った気がします。
で、まぁ色々と人生経験を積んで(笑)
もう、そう言うのやめようと。もういいじゃないか、と;^_^A
いいよ、私、下手だもん。
下手なら下手なりに、努力すれば良いじゃん。
取り繕ったり、言い訳したり、そう言うのカッコ悪いって気付いたんですね。
そして、散々自分を責め続けてきた自分自身に、謝ったんです。
自分で自分をいじめてきた事を認めたんです。
弱い自分、下手な自分、カッコ悪い自分
良いじゃん、それで。それが私。
って、ありのままを認めてあげたんです。
認めた上で、何をすべきか、どの方向に努力すべきかを、もう一度見つめ直しました。
すると、、どんどん色んなことがスムーズに進む様になったんです。
楽器に関しても、今まで、偏った拘り(こだわり)、偏見、トラウマ、自己顕示欲、などが邪魔して解決できなかった問題が、どんどん解決して行きました。
恥と思わずに、しっかりと受け止める
ちょっと横道に逸れましたね;^_^A
表題の件に戻ります。
『基本的な間違いや、つまずきを恥と思わずに、しっかりと受け止める事』
『恥と思わずに』と言うのは、もちろん、基本をおざなりにしろ、自分に甘くなれ、と言う事では決してありません_φ(・_・
その逆です。
出来ていない自分を、出来ていない事実を心の底から認めるんです。
けれど卑下したり、落ち込む必要はありません。ここが重要です。
ただしっかりと、正面から間違いに向き合うんです。このバランスが大切なんです。
頭で理解するのではなく、深いところで納得するイメージです。
そうする事で、霧が晴れた様に探していた答えが見えてきます。
新しい事や難しい事にチャレンジする気持ちと、基本を深く見つめ直す気持ち
新しい練習方法を試してみる時や、誰が見ても難しい練習などは、チャレンジしている最中に、ワクワクする気持ちが出てくる時がありませんか(*^_^*)もちろん、時と場合によるのは承知していますが。
新しい練習は、これをやったら、すごく成長できるかもしれない!という気持ちがあると、ワクワクしますよね。
また、難しい事に挑む時も、失敗は当たり前。成功したら儲けもの。くらいの心構えだと、ある意味気楽な部分があるかも知れません。ちょっと前へ前進したら嬉しくなる。そのような事も、時としてあるかと思います。
それらの気持ちを、基本を見つめ直す時にも感じてみる。同じ様にワクワクする気持ちを持ってみる。
焦りや不安、恥、よく見せたい気持ちをちょっと横に置いておいておくのです。
そうすると、同じ事をやってる筈なのに、見える世界が変わってきます。見えなかったものが見えてくるかもしれません♪(´ε` )
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